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神戸は町田よりおしゃれです

神戸営業所も、やはり顧客企業に近い拠点として設置された。
神戸には、サンリツの主要取引先の1つである大手機械メーカーが事業所を構えていて、ITS(高度道路交通システム)などの製品で協力関係にある。

ITSの分野のうち、有料道路の電子料金収受システムであるETCの開発に、サンリツは黎明期から取り組んでおり、技術的に得意とするジャンルだ。ETCの世代が進化していくのに合わせて、新たな開発案件が発生していく。緊密なコミュニケーションが必要なのはそのためだ。

神戸営業所は、顧客の機械メーカーとITSでの協力関係が始まった2008年に開設されたのだが、ここにも仙台と同様に、社員の事情と会社の事情とが、たまたま一致するという背景があった。

神戸営業所を立ち上げ、現在も神戸に机を置くITエンジニアリング部主幹の木村順一は、もともとは東京の本社で働いていた。しかし、自宅は和歌山にあり、単身赴任での東京勤務だった。

ITSビジネスの拡大を図り神戸の拠点を立ち上げました。甲子園球場は近いし仕事も生活も充実しています

「ソフトのプロジェクト管理から設計までを担当していましたが、機会があれば和歌山に帰りたいなという思いはずっと持っていました。そうしたらITSビジネス拡大の狙いもあって関西に拠点を作りたいという話が会社から出て、それに乗る形で神戸に移ってきました。
和歌山から神戸まで通勤するには遠いので、平日は神戸で暮らして、週末は和歌山の自宅に帰るようにしています。単身赴任であることは変わらないのですが、近いのではるかに気が楽です。
現在は、お客さまの事業所の中を回って、徐々に具体化してきた次世代ETCの情報収集や、ITSはもちろん、新たなジャンルも視野に入れながら営業活動をしています」

システム開発部の三宅貴之は、入社して4年ほど本社でETC関連のプログラム開発を担当した後、サンリツから派遣されたETCチームの一員として、顧客の神戸事業所に常駐。そこで2年ちょっとを過ごした。

「ETCのハードウェア設計に携わる一方で、サンリツ本社とのコミュニケーション役が主な仕事でした。サンリツではソフトウェア専門でしたので、ハードウェアの開発、しかもお客さまの社内で行うということで、目新しいことばかりでした。
先方は大企業ですので、そもそもの仕事のスケール感が違います。新卒でサンリツに入りましたから、初めて外からサンリツを眺めるいい機会になりました。大企業ならではのパワフルな組織力と、サンリツの個人が柔軟に仕事を進めていくスタイルとが好対照で、とても勉強になりました」

実は三宅には、神戸に派遣されている間に、伴侶との出会いがあった。

「向こうに行って1年くらい経ったころ、地元の女性と知り合って交際が始まりました。1年後に私が東京に戻る際に、彼女も東京へ転職してくれて、結婚することができました。私の都合に合わせてくれる形となり、妻には感謝しています」

プライベートはもちろん、約2年間の神戸生活は、仕事の面でも大きな収穫があったと三宅は言う。

社外で大企業の仕事に触れた神戸での2年間はとてもいい勉強になりました。いまの仕事に役立っています。

「神戸へ行く前は、1人で、あるいは先輩について狭い範囲でソフトウェアの仕事をしていました。それが神戸では、ハードウェアの設計をしていく上で、色々な部署、色々な人たちと連携して仕事を進めていかなければならない。
サンリツに戻ってきて、同じように色々な部署や人と連携して仕事をしようと意識が変わりました。神戸での経験がとても役に立っています。
ETCシステム全体へと知識の幅が広がりましたし、お客さまの社内の人脈や空気を知っていることは、ビジネスの強みになっています」

今後、神戸営業所でのビジネスをさらに拡大していきたいと木村は言う。

「まずは、ETCジャンルでサンリツのシェアを高めていくことですね。お客さまの神戸事業所は、航空宇宙や原子力など様々な分野での開発・製造を手掛けています。お客さまとの信頼関係を深めながら、サンリツとしてやれることはたくさんあると思います」

木村には、仕事以外に神戸ならではの密やかな楽しみがある。

「ずっと阪神ファンなので、同じく阪神ファンのお客さまと、連れ立って甲子園球場に阪神戦を見に行くのは楽しいですよ。ものすごく盛り上がります。2020年はコロナ禍で、せっかくチケットを取った試合が全部流れてしまい、悔しかったですね。
神戸は、おしゃれでいい街です。町田よりはるかに都会ですし(笑)」

みんなが私に追い付いてきた!?

2020年のコロナ禍を機に、社会全体に在宅でのリモートワークが広がり、サンリツもいち早くその体制に移行した。コロナ後もリモートワークは続けていく方針だが、実はコロナが発生するかなり前から、サンリツの社内には、在宅リモートワークの“先駆者たち”がいる。

システム開発部の善木正博が倒れたのは2017年の暮れ。夜遅くに出張先から一人暮らしの自宅に帰り着き、就寝前の習慣にしていた血圧測定をしているうちに倒れた。

最初は在宅勤務が不安でしたがやってみると意外に問題ない。そのうち、コロナ禍でみんな在宅勤務になりました

「普段から血圧は高めでしたけど、その時は異常に高い値でした。測定結果を見ていた時に倒れたんです。倒れても意識はありました。でも、手足が動かない。身動きが出来ないまま、助けを呼べず2晩が過ぎました」

倒れた翌々日の朝。出張から帰っているはずなのに、2日目になっても、連絡がつかない善木を案じて、管理部長の大沢 忠が自宅に様子を見に行った。

「ドアの前で呼びかけても応答がない。念のため、鍵を開けてもらおうと管理会社に連絡をしました。管理会社は、一存では開けられないので、警察官と一緒に来てくれて、まずは警察官が室内に入りました。それで倒れているのが見つかったんです。意識はありましたが、体は動かないし、本人は何か喋ろうとしているのに言葉が出てこない状態でした」

脳出血だった。すぐに救急車を呼び、近くの病院に入院。その後、郷里の岡山にあるリハビリ病院に転院し、合計半年間の入院生活を送った。
半年後、リハビリ病院は退院したものの、右手、右足にはまだマヒがあり、言葉を発するのにも不自由さが残る状態が続いていた。
その時の心境を、善木はこう語る。

「私としては、すぐにでも会社に戻って仕事を続けたいという気持ちでした。まだまだやれるという自信もありました。でも、正直なところ、この体の状態で戻って会社の役に立てるかな、という不安がありました」

退院後3カ月して、ようやく町田本社に顔を出せた善木に、会社からは思いもよらないアイデアが提案された。それは、自宅の通信環境だけ整えてくれれば、リモートで仕事ができるのではないか、というものだった。
その背景を、大沢が説明する。

仕様書を取りまとめるなど、文書でやり取りするものは仕事の場所を問いません。在宅でも仕事はできるかなと

「善木さんは、ITSの仕事をずっと社内でやってきました。でも、仕様書を取りまとめるなど、文書でやり取りするものは仕事の場所を問いません。彼の頭の中に蓄積してきたノウハウもたくさんある。在宅でも十分に仕事はしてもらえるんじゃないかと。まずは、リハビリを兼ねて、テスト的に簡単なことからやってみようと始めました」

テスト的に始めた在宅勤務は徐々に本格化し、倒れてから1年半後、善木は正式に復職。在宅勤務はサンリツの新たな制度として整えられ、以降、善木はシステム開発部の一員として岡山で勤務している。

社会的にも在宅勤務がまだ珍しい時期に、リモートでの仕事をスタートさせた善木だったが、軌道に乗ってしまえば意外に問題は少なかった。

「右手にマヒが残っているので、キーボードの操作が少し不便ですが、操作そのものは片手でできています。仕事はソフトウェア開発なので、会社でやることを自宅でやっているだけで、作業の中身にあまり違いはない。
不便なのは、回線速度が会社より遅いことと、会社にいれば資料など仕事に必要なものが揃っていて、すぐに使うことができますけど、自宅では簡単には揃わないことくらいですね。
コロナ禍で、会社の同僚も在宅勤務が当たり前になりましたので、みんなが私の仕事スタイルに追い付いてきたという感じです(笑)。リモートでの会議も、先行した分だけ、私のほうが慣れていましたし」

在宅勤務で“お客さまと密”に

サンリツにはもう1人、コロナ以前からの在宅勤務者がいる。ITエンジニアリング部主任技師の小久保拓也だ。
小久保が奈良の自宅で在宅勤務を開始したのは2018年の秋から。それまでは、神戸営業所で仕事をしていた。
在宅勤務に落ち着くまで、勤務地が転々としたと小久保は言う。

「最初は7年ほど前に、町田の本社から福井の研究機関に1年間出向しました。その仕事の流れで、続けて京都のベンチャー企業に2年間の出向。合わせて3年間ほど関西で生活しました。
その後の1年間は東京に戻りましたが、家庭の都合で奈良に住まなければならなくなり、会社は辞めるつもりでした。でも、神戸営業所なら奈良から通えるのではと会社に提案され、移らせてもらいました。
ただ、奈良から神戸までの通勤は片道2時間以上かかります。1年ほど遠距離通勤を続けていたら、鈴木社長から、“時間がもったいないから、無理して神戸まで通わなくてもいいよ。仕事はリモートでもできるんじゃないの”と言っていただき、在宅勤務に切り替えました」

奈良の自宅を拠点に、小久保が取り組むのは新規案件の開拓だ。これまでは付き合いのなかった顧客を対象に、新しいものを提案し、開発していく。

「今、手掛けているのは、関西の鉄道会社に使ってもらう新しい設備システムや、大阪の都市インフラなどです。神戸に通勤している時から手掛けている案件ですから、結局、どこでしても、仕事内容は変わりません」

とはいえ、在宅勤務に移行したことで、仕事そのものへの意識には大きな変化があったと言う。

在宅で開拓している案件が軌道に乗り、成長し始めたら大阪や京都のどこかに新しい拠点を立ち上げます

「本社にいた時は、会社に行くこと自体が仕事になっている面がありました。行っていれば仕事をした気分になる。でも、リモートワークでは会社に行く必要がないですから、純粋に仕事の成果だけを意識するようになりました。
今抱えている案件が、どれだけの利益を上げられるのか、どんな新しい価値を生み出せるのか、とても意識します。
日々の行動を報告するといった会社の管理はありませんけど、自分が日々どんな仕事をしたのか、きちんと語れるような仕事の管理を心がけています。
それで仕事の記録をメモするようになりましたね。毎日、メモを見返して、無駄なことをしていたら、翌日はやり方を変えていく。自ずと効率のいいやり方になっていくのを期待しています。実際、無駄な作業は減りました」

さらに、コロナ禍の状況も、仕事のやり方に大きな影響を与えた。

「コロナでお客さまのプロジェクトが遅れたりして、ポッカリと空き時間ができる場面が増えました。会社にいれば、何か仕事がありませんかと周囲や営業部門に声を掛けることもできますが、社内のみんながリモートに移行しているので、それはできない。
自分でお客さまと連絡を密にして情報収集をし、新しい案件のタネを探すことが多くなりました」

在宅リモートワークで、今のところ個人としてのパフォーマンスは上がっている。しかし、将来にわたって在宅勤務を続けていくのかは小久保自身にも分からない。自宅でできることには限度があるからだ。

「現状では、奈良に自宅とは別の仕事拠点を構える必要はありません。でも、開拓している案件が軌道に乗り、大きく成長し始めた時には、奈良から通いやすい関西のどこか、例えば大阪とか京都に新しい拠点を作ったほうがいいかもしれません。状況次第で柔軟に考えていきます」

コロナ禍を機に、働き方が大きく変わろうとしている日本社会。それに先行して、サンリツでは、自立して仕事をする社員たちが、新しい働き方を模索し、創り出してきた。5年後、10年後のサンリツが、どんなカタチの会社になるのか、見えてくるのはこれからだ。

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