多様な働き方で人を活かす

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どこにいても仕事はできる
自立した社員が創る新しい働き方

サンリツオートメイションは、東京・町田市の本社の他に名古屋、仙台、神戸と3つの事業所を展開している。ただ、その成り立ちは、一般的な会社の本社・支社の関係とは大きく違う。3つの事業所はサテライトオフィス的な存在であり、本社の各部署のメンバーが、いずれかの場所に机を置いて働くイメージだ。社員がその場所で働くのは、あくまでも本人の意思。コロナ禍の前から在宅勤務制度も導入されていて、自由度の高い働き方がサンリツの文化でもある。

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名古屋のほうが暮らしやすいかな

サンリツの名古屋技術センター(NTC)は1990年の開設。当初は、愛知県の自動車工場で生産指示システムを構築し、サポートをするために、エンジニアたちの前線基地として開設された。現在では本社に次ぐ規模になり、エンジニアの数も多い。そこで働くエンジニアは、会社の命令ではなく、自分の意志でNTCで働くことを選んだ人たちばかりだ。

ITエンジニアリング部・生産システムグループリーダーでプロジェクトマネージャーの冨ケ原達也は、本社から名古屋に移って10年。最初の1年間は顧客である自動車メーカーのシステム部門に出向し、その後、現場の近くでFAの仕事を続けるためにNTCの常駐となった。

お客さまの近くでエンジニアリングする体制があったほうがいいなと思い名古屋に残りました

「出向期間を終えたら東京に戻る予定だったのですが、現場を抱える仕事には、お客さまの近くでエンジニアリングができる体制が必要かなと思い、名古屋に残ることにしました。
そのころのNTCは人員的に手薄でしたし、生活環境は名古屋のほうがのんびりしていて暮らしやすいかなと(笑)。プライベートでは趣味というか、広く浅くいろんな事に手を出してはいます。忙しくてあまり謳歌できていませんけどね。昨年買ったテントや焚火台も未開封のまま眠っています。
週のうちの半分は、打ち合わせや作業などでお客さまの工場に行き、残りの半分はNTCで仕事をする生活です。開発の要件をまとめて東京の開発チームに流したり、工場の現場で発生する様々な課題やトラブルに対応しています」

エンジニアとして、顧客とのコミュニケーションを担っているわけだが、顧客とサンリツのエンジニア同士が直接コンタクトすることに、大きな意味があるという。

「お客さまの言っていること、やりたいことがすぐ理解でき、何が課題なのか自分で判断し、お客さまの要望を早く形にできます」

また、緊急度の高いトラブルも発生する。

「たまに生産ラインが止まるようなトラブルがあって、そういう時には、すぐに声がかかって、現地調査やお客さまの対策会議に参加します。
対策会議では、①再発時の対応方法(ラインへの影響を最小に)、②推定原因(原因究明までの体制や期間等を決める)、③原因究明方法、などが協議されます。
トラブルの状態を見ていくと、システムのどの部分(サンリツ範疇に限らず)に原因があるか、だいたい見当が付く場合も多々あり、①~③に対して意見を述べることになります。
サンリツの範疇に問題があると推測される場合、東京の開発チームと一緒に原因究明をしていくこととなります。
お客さまの近くにいるだけに、やりがいも責任の重さも感じますよ。課題や問題が解決した時に、感謝の言葉をお客さまから直接聞けるというメリットもありますね(笑)」

予想もしない動きが面白い

お客さまと直接話して仕様から決める上流工程の仕事がしたくて、名古屋に移ってきました

ソリューション部の主任技師、宇戸文規はNTCでロボットの開発を行っている。宇戸もまた、希望してNTCで仕事をするようになった。

「東京にいた時は組込ソフトの開発を担当していました。やっているうちに、受注した通りに組込ソフトを開発するだけではなく、お客さまと直接話をして仕様から決めていくような上流工程の仕事がしたくなって、2016年に名古屋に移ってきました。
現在は、お客さまの企業と一緒に、主に介護支援のロボットを開発しています。ずっと組込ソフトを手掛けてきましたので、メカ部分を制御するソフトを担当しています」

宇戸は、仕事とプライベートの両面で、名古屋の環境に満足していると言う。

「仕事を任せてもらっていますし、お客さまともいい関係ができています。自分のやりたいこととも一致していますので、ここで仕事を続けていこうと思っています。
もともとこちらの出身なので、地域に親しみがありますし、実家はクルマで1時間圏内です。新しい友人も増えました。仕事もプライベートも非常に充実していますね」

ソリューション部主任技師の中村貴幸も、NTCでロボットの開発に携わっている。冨ケ原と同じころに東京から3年間出向し、そのまま名古屋に残ることを決めた。

「東京ではソフト開発の仕事をしていました。出向先で最初の1年間はロボット開発の部署、その後2年間は別の部署で仕事をしました。
ソフトを組み込んだものが自分の思い通りに動く。そうかと思えば想定外の動きをしたりするのが面白くて、ロボットの仕事を続けたいなと思い、出向後もNTCに残ることにしました」

ロボット開発のプロジェクトで、中村と重なり合う仕事が多い宇戸も、ロボットの予想もしない動きに面白さを感じるという。

出向先で携わったロボット開発の仕事を続けたいなと思い、NTCに残ることにしました

「試作したロボットを動かすと、いきなり回転しだして止まらないといったことも起こります。人がケガしないように非常停止スイッチを付けたりしますが、トラブルを根本的にどう解決していくのか、そのプロセスが面白い。ロボットに求められる作り込みの深さに驚かされますね。
開発の成果を見せる内輪の発表会に向けて、お客さまの開発チームと一丸となってハード、ソフトを作り込んでいく時は、それこそ、ランナーズハイの状態で走り切ります」

NTCが開発に参加したロボットは、すでに20機種以上を数える。
中でも宇戸や中村が取り組む介護ロボット、リハビリロボットの開発は、人のカラダに直接触れて動かす機械ならではの難しさがある。

「ロボットには、機能安全という考え方があります。ロボット内部には大きな電流が流れていて、モーターやLEDなどのハードウェアを動かしている。ハードに負荷がかかると熱を持ちますし、限界を超えたり、壊れたりすると燃えてしまうことさえある。
人を傷つけるようなトラブルが起きる前に、ある程度の閾値をもってロボットが自らを抑え込むような機能が必要なんです。
そのためには実際の動作テストを重ね、開発チームの中で細かな議論を積み上げながら、あらゆる場合を想定してソフトを作り込んでいく。ハード周りの制御を担当するサンリツにとって、最も重要なことです」(宇戸)

余談ながら、この記事の後半で登場するサンリツ社員が病気で倒れた際、病院でお世話になったリハビリロボットは、中村がモーターの制御ソフトの一部を担当した製品だった。
サンリツの社員が開発に携わった製品が、予想もしない形で同僚のサンリツ社員の役に立つ──こんな嬉しい巡り合わせが、時として起こり得る。

社員と会社の事情がたまたま一致

仙台技術センター(STC)は、2012年の開設。まだ歴史が浅く、ここで働く社員も現状3人と規模は小さいが、サンリツにとって重要な役割を担っている。そもそも、STCの立ち上げは、社員個人の事情と深くかかわりがあった。

2012年、開発一部主任技師の須藤則幸はサンリツを辞めようとしていた。
須藤は宮城県の出身。東日本大震災の後、家庭の事情で郷里に帰るつもりだった。

お客さまの技術開発拠点より私たちのほうが近いですから技術的に何かと頼りにされることが多いです

「担当していた大手装置メーカー向けのボード開発が完了して、仕事が一段落。タイミング的にいい時期だったんです。会社を辞めて、仙台で生活するつもりでした」

ちょうどそのころ、須藤がボードを担当した大手装置メーカーが、新たな拠点を東北に開設。東北に2拠点となり、東北エリアのウェイトが大きく上がる時期と重なった。

サンリツとしては、顧客の近くにサポート拠点が欲しい。偶然にも社員の事情と会社の事情とがマッチし、須藤は会社を辞めないまま、たった1人で仙台分室を立ち上げることになった。

その2年後の2014年、営業部主任の高橋卓也が加わる。
高橋もまた宮城県の出身。やはり家庭の事情で郷里に帰ることになり、できれば仙台分室で働きたいと会社に希望していた。

「ただ当時の仙台分室には、2人で働くほどの仕事がなかったんです。会社は迷ったようですが、最終的には、仙台で仕事を拡大してこいと送り出してくれました」

須藤と2人体制になったことで、仙台分室は仙台技術センターを名乗るようになる。

さらに2017年には、開発一部主任技師の堀米良則が加わった。
堀米は山形県の出身。家庭の事情で15年前にサンリツを辞め、エンジニアとして郷里で働いていた。ある展示会で須藤、高橋と偶然再会し、サンリツの拠点が仙台にできたことを知る。以後、話はトントン拍子に進み、堀米はサンリツに再入社し、STCの一員となった。

近くにいたからこそ生まれた新製品

人の体制が充実したことで、当初はサービス拠点としての機能だけだったSTCは、その役割を大きく変えていく。顧客である大手装置メーカーは、サンリツにとって主要取引先の1つ。東北エリアだけでなく、全国に事業所が点在している。
それら全国の事業所に向けた営業機能を、STCが担うようにしたと高橋は言う。

「私は、本社では生産管理の仕事をしていました。でも仙台に来て、STCが会社に貢献するには、開発と営業の両方の機能が必要だと考えたんです。それで営業の仕事を私が引き受けることにしました。
最初は、お客さまの東北の事業所を担当していましたけれど、それを他の事業所へと広げていって、現在は全国の事業所を担当しています。
このお客さまへの営業窓口は、本社ではなくSTCに一本化しているわけですけど、各事業所のルールの違いや横通しの案件もありますし、手分けして担当するより効率がいい。また、お客さまの側も、1人の営業に何でも言える方が便利で都合がいいんだと思っています」

STCでは、高橋が顧客である大手装置メーカーのニーズをすくい取り、須藤、堀米が本社の開発チームの一員として顧客の近くでボードの開発を担当。開発した製品は、高橋が顧客の全国の事業所や別の新規顧客に売り込んでいく。
技術サポートを密に行うことで、顧客からの信頼が高まり、次の製品につながる情報も早く入手できる。最前線でマーケティングと開発とを一体化して行うのがSTCの役割だ。

高橋には、情報の早さが新ジャンルの製品開発に結び付いた経験がある。

お客さまの東北エリアの事業所だけでなく全国の事業所への営業を仙台で担当しています

「4~5年前でしたか、当時、サンリツはお客さまにCPUボードを供給していました。ラックシステムに使うもので、これは現在も供給していますが、お客さまと将来的な話をしていたところ、FAコンピュータと呼ばれる箱型のものに切り替えていく構想があることが分かったんですね。
そのころのサンリツは、ハイエンドのFAコンピュータをラインアップしていませんでした。それで、須藤さんたちエンジニアと一緒に、お客さまの各事業所を回り、FAコンピュータの要件を収集して歩きました。事業所ごとに要件が微妙に違いましたので、開発にあたり、最適な要件定義が出来るよう心がけました。
それから先行して製品の開発を進め、無事に採用していただきました。お客さまに密着していたからこそ、できた製品だと思います」

もちろん顧客の近くにいる強みは、トラブルが起きた際こそ顕著になる。

「一番近い事業所ですとクルマで30分くらいですから、何か問題が発生したらすぐに行って、いち早く対応することができます。お客さまの技術開発拠点よりも私たちのほうが近くにいますので、トラブルでなくても、技術的に何かと頼りにされる場面がありますね」(須藤)

地の利を活かした仕事の一方で、仙台での暮らしは、ワークライフバランス的に最高だという。山形に住む堀米は通勤に1時間ほどかけているが、須藤、高橋の通勤時間は10分~15分ほどだ。

「STCの新しいオフィス探しを会社から任せてもらえたので、以前のような仙台の中心街ではなく、お客さまのところへ行きやすいよう高速道路へのアクセスがいい郊外にしました。新しい地下鉄が開通していますので、仙台駅へも便利です。
みんな家族がいますから、ことさら趣味に走るような生活ではないですけれど、ワークライフバランスは、サンリツ社内でも相当にいい方じゃないでしょうか。米も酒も肴も旨いですし、それを目当てに鈴木社長が出張してくるくらいですから(笑)」(高橋)

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