RESCUE ROBOT CONTEST 記憶を伝え、技術を磨き、人を育てる レスキューロボットコンテストは発想力と技術力で「やさしさ」競う 20th RESCUE ROBOT CONTEST 記憶を伝え、技術を磨き、人を育てる レスキューロボットコンテストは発想力と技術力で「やさしさ」競う 20th

サンリツオートメイションは、オフィシャルサプライヤーとして、「レスキューロボットコンテスト」を応援しています。このユニークなコンテストの面白さはどこにあるのか? 社会的な意義や、立ち上げた人々の想いは?
そして、サンリツとの偶然の出会いとは?──

INDEX

1 “戦わない”ロボットたちが災害と戦う

世界中に数あるロボット競技の中で、「レスキューロボットコンテスト(通称=レスコン)」ほど異色のコンテストはないだろう。

ロボット同士が戦う、いわゆる対戦型の競技とは発想が根本的に異なっている。ロボットが挑む相手は「災害」。大地震で建物が倒壊した市街地を6分の1スケールで再現したフィールドから、要救助者のダミー人形(ダミヤン)3体をレスキューロボットで救出する。救助の「早さ」と「質」を競い合う競技だ。

だから、ロボット同士は、競い合ってはいても、「敵」ではない。参加チームの多くは、ガレキの除去、要救助者の救出などの機能を備えた複数のロボットを投入して活動する。

フィールドでは同時に2チームが救助活動を繰り広げるが、相手チームの救助を邪魔しないように道を譲ったり、時として要救助者の位置を教え合う光景は、このコンテストの理念を象徴している。無事にダミヤンが救出されると、観客席から大きな拍手がわくのもレスコンならではだ。

ロボットは基本的に遠隔操縦。チームは、フィールドとは壁を隔てたコントロールルームで、ロボットから送られてくる映像と、上空ヘリを模したフィールド上方からの俯瞰映像だけを頼りに救助活動を行う。実際の災害現場と同じような条件設定がされているわけだ。

競っているのは救助の「やさしさ」

直接目視することができない現場で、どうすれば早く安全に要救助者を救い出せるのか。ロボットの性能や操縦の腕前だけではなく、全体の状況を読み解く分析力、救助手順を決定する判断力、チーム全体が一体化して動く組織力など、実際の災害現場さながらに、救助チームとしての力量が試される。

救助にあたって、最も重視される要素は「やさしさ」。ダミヤンには加速度センサーをはじめ各種センサーが内蔵されていて、救出や搬送の際にどれだけやさしく扱われたかを数値で評価する。だから、たとえ救出タイムは早くても、UFOキャッチャーのように、要救助者をモノ扱いする救出方法は評価が低い。

やさしさの具体的な表現は、各チームさまざま。それぞれが災害現場の状況を思い描き、知恵を絞り、多彩なアイデアを形にする。最近では、要救助者を励ますための声掛けをするロボットさえある。

要救助者に対するやさしさだけではなく、操縦者の負担軽減、ロボットの整備性向上など、救助する側に向けられた工夫も評価の対象になる。

そして、やさしさへの取り組みが、各賞の最終評価に大きく反映される。

最高賞である「レスキュー工学大賞」は、救助の達成度、ダミヤンへの衝撃などを点数化したものに加えて、「コンセプト」「技術力」「組織力」を総合的に判断し、質の高い救助方法への取り組みを行ったチームに与えられる賞だ。

人を助けるということをどう考えるのか──ロボット技術の優劣だけではなく、あくまでも救助という形を通じて社会にどんな貢献ができるのか、そこを競い合うコンテストなのである。

2 「阪神・淡路大震災」の
経験を役立てたい!

「レスキューロボットコンテスト」が生まれたきっかけは、1995年の阪神・淡路大震災だ。1月17日早朝に発生した地震は、兵庫県を中心に、大阪府などに甚大な被害をもたらした。阪神間の市街地は建物が至るところで倒壊し、火災が発生。救助が思うように進まないまま数千もの人命が失われた。

この惨状に、多くの人々が大きな無力感を味わったが、ロボット研究者たちもその例外ではなかった。本来なら、人が容易に入れない災害現場での救助活動こそ、ロボットが最も必要とされる場面のはずだったからだ。

しかし、日本のロボット工学は、70年代、80年代という比較的大災害の少ない時期に発展してきたこともあり、災害救助というテーマにはほとんど目を向けてこなかった。研究者たちは、虚を衝かれた思いだった。

震災後、学生や教職員に多くの被災者を出した神戸大学の研究者をはじめとして、関西のロボット研究者たちが中心になり、「レスキューロボット機器研究会」を設立。被災者や救助隊の体験談を聞き取りしながら、基礎的な調査・研究を進めていった。

災害への関心を風化させない

しかし、その一方で、震災から2年、3年と時が経つうちに、災害に対する世間の関心が薄れていくのを研究者たちは感じていた。

当時、大阪大学の若手研究者で、研究会に参加していた升谷保博先生(レスコン第2代実行委員長、現・大阪電気通信大学)もその一人だった。

「研究者たちは熱い気持ちを持って研究を続けていました。でも、時間とともに世間の気持ちは冷めていく。その温度差を埋めたいと思いました。それで、一般の人々にも関心を持ってもらえるようなイベントを作ろうと、レスコンを考え付いたのです。研究会の有志が集まり、教育の一環として、レスキュー技術の発展に焦点を当てたロボットコンテストを企画しました」

とは言え、実現は簡単ではない。大阪府立大学高専の土井智晴先生(第3代実行委員長)は当時の空気をよく覚えている。

「神戸大学の先生方を中心に、阪神・淡路大震災の調査報告をまとめられて、文科省にレスキューロボット研究の必要性を熱心に訴えました。でも、震災の記憶が薄れていくなかで、反応は非常に鈍い。

風向きが変わったのは、2001年のニューヨーク同時多発テロで、倒壊したワールドトレードセンターの救出作業にレスキューロボットが投入されてからです。2002年にようやく『大都市大震災軽減化特別プロジェクト』が始まり、レスキューロボットにも研究費が付くようになりました」

しかし、それより前に、企画に賛同した研究者たちは自発的に集まり、資金不足、マンパワー不足に苦しみながらも、レスコンを立ち上げていった。

2000年にプレ大会が行われ、2001年には「ロボット創造国際競技大会(ロボフェスタ関西2001)」に参加する形で第1回のスタートを切った。以来、連続19回、毎年8月に独立したイベントとして開催している(2020年はコロナ禍のため中止)。

悩み抜いた「要救助者」のカタチ

研究者たちが、コンテストの立ち上げを準備するなかで、実は、最も悩んだものの1つが、要救助者をどう表現するかだった。

震災で家族や近しい人を失った人たちの気持ちを考えると、人間の形をしたダミーを使うのは生々しすぎる。卵のような壊れやすいものを救出するというアイデアも出たが、それでは救助のリアリティがない。

さんざん議論して出した結論が、自動車メーカーが行う衝突実験のような設定にしようというものだった。衝突実験ではダミー人形が使われるが、あくまでも実験なので生々しさは感じない。

レスコンが、架空の「国際レスキュー工学研究所」で行われる“レスキュー訓練”という体裁をとっているのは、こうした議論を経てのことだ。

レスコン開始当初のダミヤンは、硬質樹脂に感圧フィルムを貼り、加速度センサーを内蔵した簡単なものだったが、そこから大きく進化。

現在使われている「ダミヤン3」は、弾性樹脂を使った柔らかい体で、体型もより人間に近い。音、光、胸のQRコードで個別のダミヤン情報が設定されていて、要救助者の容体を読み取ることができる。救助チームには、容体を判定した上で、最適な救助を行うことが求められる。

3 応援企業と一緒に
乗り越えた“技術の壁”

こうして始まったレスコンは、2年、3年と回を重ねるにつれて、技術的な問題を抱えるようになってきた。

当初、救助ロボットをコントロールするシステムは、ラジコン模型などと同じプロポ操縦と、別系統で映像送信用にアナログ無線カメラを併用していた。しかし、競技の課題が高度になり、参加ロボットの数が増え、動きが複雑になるにつれ、このシステムではカバーしきれなくなっていた。

会場のノイズを拾い、モニター画面が砂嵐になることもしばしば。競技が始まっているのに、一向にロボットが基地から出動してこない、といったことも珍しくなかった。このままだと、レスコンは続けられなくなるというところまで追い込まれていた。

実行委員会で、この対策を担当したのが岐阜高専の奥川雅之先生(現・実行委員長、現・愛知工業大学)だった。

「ロボットと操縦者とのやり取りを無線LANで一元化することで解決しようと考えました。でも、コンピュータの制御部分と映像配信とを一体化したシステムは、ありそうでなかったのです。仕方なく、別々の会社のシステムを組み合わせて使おうとしましたが、うまく動かない。
会場で途方に暮れていたら、一体化したモジュールを抱えた若い技術者がひょっこり現れたのです。思わず『それですっ!』と叫びました」

現れたのは東京・町田市にある組込コンピュータシステムの開発メーカー、サンリツオートメイションの技術者だった。

サンリツは、愛知万博の出展企業に依頼され、車載カメラの映像を見ながら運転できるラジコンカーや、遠隔操縦ロボットのシステムを開発。制御と映像配信が1台でできる上に、伝送遅延を補正する独自の通信技術で、リアルタイムな遠隔操縦を実現していた。若手の技術者は、そのシステムの用途を探して市場調査に歩いていて、レスキューロボットに遠隔操縦のニーズがあるはずと思い、たまたま訪れたのがレスコンの会場だった。

レスコンに鍛えられた新製品

偶然の出会いの翌年、2007年の第7回大会からサンリツはレスコンボード(TPIP1)の供給を開始。2~3年のうちに、搭載システムはレスコンボードに切り替わった。それによって問題が解決したことはもちろん、参加ロボットを、ゲームコントローラーで制御したり、モニターに複数の画面を同時に表示できたりと、レスキューロボットの操縦システムも格段に進化した。

初代のTPIP1にとって、レスコンはフィールド実験の場にもなった。競技中に起きる不具合や弱点を実行委員会とサンリツとで共有し、議論しながら製品規格のところから仕様を作り込んでいく。現在使われている第3世代機のTPIP3は、TPIP1のハガキサイズから名刺サイズにまで小型化。ロボット設計の自由度が大きく向上している。

ちなみにレスコンには、スタート当初から機器の貸与制度がある。学生にとって、通信制御システムを自前で製作するのは、技術的、経済的なハードルが高い。

そこで通信制御機器は貸与し、参加チームにはレスキュー技術の開発に集中してもらおうという趣旨だ。ガレキの街を確実に移動できる走行システムや、ダミヤンの救出・収容・搬送システムに、学生たちは知恵を絞ることができる。

現在は、サンリツがレスコンのオフィシャルサプライヤーとして、各チームにロボット3体分のTPIP3を無償提供している。

しかも、レスコンボードを提供するだけではない。参加チームを対象にした「レスコンボード講習会」を開催している。実行委員の専門家とサンリツの技術者とで講師を務め、基本的な使用方法から応用プログラミングまでレクチャーする。レスコンは、まさに実践教育の場でもあるのだ。

4 “社会貢献できる人”を育てる

実行委員会がよく受ける質問の1つが、レスコンに登場した新しいレスキュー技術で、実用化された事例はありますか?──というものだ。

例えば、東京消防庁は、地下鉄サリン事件後に、有毒ガスが立ち込める現場でも要救助者を救出できるレスキューロボット、2代目「ロボキュー」を開発。そこには、ベルトコンベア式の収容システムが採用されている。

ベルトコンベア式の収容システムは、レスコンの初期の頃に、要救助者への衝撃が少ない収容方法としてあるチームが考案し、以来、多くの参加チームが採用している方式だ。

こうした事例はあるものの、「レスコンは機材開発ではなく、人材開発の場」と、実行委員会のメンバーは口を揃える。技術開発を大切にしながらも、レスコンの最大の目的は、もっと長い目で見た人材育成、特にモノ作りを通じて社会に貢献できる人材を送り出すことにあるという。

自由な発想、あるいは突飛な発想でゼロからロボットを作り、災害現場での困難な状況を乗り越えていく。しかも、必要とする技術は数多くの分野にわたり、それらをインテグレート(統合)していく力量が求められる。

レスコンは、学校では機会が少ない実際のモノ作り経験を通じ、技術者として、なにより人として大きく成長させてくれる場なのである。

実際、レスコンのOB、OGには、ロボット分野に限らず、モノ作りの現場で活躍している人材が多い。

進化するレスコンの未来図

レスコンの主催団体である一般社団法人R×Rコミュニティー・代表理事であり神戸大学の横小路泰義先生(第4代実行委員長)は、将来、活躍する人材を育成できるように、順次、レスコンのバージョンアップを図っていくという。

「レスコンの入り口部分では、新規チームが参加しやすいような環境を整えていきます。どうしても常連の強いチームとは、蓄積した技術力の差がありますから、強豪チームが新規チームに技術的な手ほどきをするような場があってもいい。
出口の部分では、競技内容で、例えば、要救助者の容体判定にトリアージの要素を入れる、フィールドを市街地ではなく建物内に変更する、あるいは火災や漏電の設定を入れるといったアップデートもできるでしょう。時代に合わせた問題解決力を身に付けた人材を育成していきたいと思います」

現代の日本では、毎年のように予期しない災害が起きている。その1つ1つに、これまでとは違う形の「レスキュー技術」や「対応スキル」が求められる。新たな災害の形に合わせて、レスコンも進化させていくというわけだ。

さらに一歩進めれば、レスコンは、レスキュー技術を媒介にした、新技術の人材育成プラットフォームにもなり得る。これから普及する5Gは、社会のあらゆる分野で遠隔操作の可能性を広げていくし、VRは遠隔操縦の新しい形を生み出していく。そして、いずれもレスキューロボットとは親和性が高い。

阪神・淡路大震災から25年。数々の大災害を経験しながら、現実を見据えてレスコンを進化させ続ける実行委員会の意識にあるのは、「災害は忘れたころにやってくる」なのである。

※本記事記載の競技内容は、2019年開催の第19回大会までのものです。2021年開催の第20回大会「レスキューロボットコンテスト20×21」からは、新しい競技内容が取り入れられます。

田中真倫

サンリツオートメイション
開発四部 田中真倫

OB INTERVIEW

頻発する原因不明のトラブルで、
問題解決力が鍛えられました

──サンリツオートメイションの田中真倫と中岡智樹は、2人ともレスコンのOB。在学期間は重なっていないが、同じ松江高専チームの先輩と後輩である。

田中 松江高専は2011年が初出場なのですが、ロボットアームの研究をしていたことから、先生に誘われてそこに参加しました。ロボットを動かすには、機械だけでなく、電気やソフトウェアの知識も必要で、とても苦労した覚えがあります。

中岡 先輩たちの蓄積がありましたから、私たちの代は、立ち上がりの苦労はそれほどでもありませんでした。6年間出場しましたけど、レスコンの課題が年々難しくなるので、開発は大変でした。6年間の前半は、機能別に特化したロボットで参加。後半は技術力が上がったので、効率がよく、リスクが低い万能型ロボットに移行しました。

──現在、田中は、ロボット開発プロジェクトなどを担当し、ロボット関連の特許も数件出願している。中岡は、サンリツのソフトウェア部門で開発の仕事をしている。

田中 きちんと動くものを作るレスコンは貴重な経験でした。人数が少ないチームだったので、何でもやりましたし、プロジェクトの全体が見えていた。今の仕事では、分業化された一部を担当していますので、レスコンの経験がどこまで役立っているのか、自分では分からないですね。(笑)

中岡 私はソフトウエアの開発をしていますので、レスコンと直接には結び付きません。でも、レスコンをやっていると、しょっちゅう原因不明のトラブルが起きるんですね。原因を特定して問題解決をしなければ先に進めない。その積み重ねの経験は、今の仕事にも生きています。
レスコン時代を振り返ると、新しいアイデアは、ロボットとは関係ないところから発想することが多かった。現役の皆さんには、ぜひ興味を幅広く持って、斬新なロボットを作ってほしいと思います。

田中真倫

サンリツオートメイション
開発四部 田中真倫

中岡智樹

サンリツオートメイション
システム開発部 中岡智樹

OFFICIAL SUPPLIER INTERVIEW

常に「進歩性」を競い合うレスコンは
エンジニアが育つのにいい環境です

「レスキューロボットコンテスト」との出会いは全くの偶然でしたが、会社として積極的に関わるようになったのは、実行委員の先生方が、社会に役立つエンジニアを育てていきたいと熱心に活動される姿に共感したからです。

レスコンは、まずアイデアを出して、実際に動くロボットを作り、コンテストに臨む。そのプロセス全部が評価対象になっていることが、エンジニアを育てる環境として非常にいいと思います。

新しいアイデアを思い付いたときに、単に今までになかったという「新規性」だけなのか、これまでの課題を解決できる「進歩性」があるのかは大きな違いです。いいエンジニアほど、「進歩性」のあるアイデアを出す。レスコンでは、課題解決のためにロボットを作るわけですから、常に「進歩性」を意識したモノ作りが行われます。

先輩から受け継いだ技術を進化させるために、新しいアイデアを考え、「仮説」と「検証」を繰り返す。企業における製品の研究開発と同様のプロセスを数年で経験できるところも、レスコンの魅力です。

社長 鈴木一哉

サンリツオートメイション
社長 鈴木一哉

今回の取材にご対応いただいた実行委員会の先生方と。前列左から、土井智晴先生(大阪府立大学工業高等専門学校)、奥川雅之先生(愛知工業大学)、鈴木一哉(サンリツ)、横小路泰義先生(神戸大学)、升谷保博先生(大阪電気通信大学)、後列左から、宗澤良臣先生(広島工業大学)、山内仁先生(岡山県立大学)、衣笠哲也先生(岡山理科大学)、杉山智章さん (MASH/レスコンコーディネータ)。

今回の取材にご対応いただいた実行委員会の先生方と。前列左から、土井智晴先生(大阪府立大学工業高等専門学校)、奥川雅之先生(愛知工業大学)、鈴木一哉(サンリツ)、横小路泰義先生(神戸大学)、升谷保博先生(大阪電気通信大学)、後列左から、宗澤良臣先生(広島工業大学)、山内仁先生(岡山県立大学)、衣笠哲也先生(岡山理科大学)、杉山智章さん (MASH/レスコンコーディネータ)。

  • 当社はレスキューロボットコンテストのオフィシャルサプライヤーとして強力しております。SANRITZ
  • 産学共同で「点検ロボット」を製品化 老朽化した社会インフラと向き合う SANRITZ
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